私自身、もともと完璧主義。
完璧主義はどこから来るのか、本当に本人だけの問題なのか、
ちょっと考えてみました。
今、自分自身が完璧主義で苦しい人、身近な人が完璧主義で辛い人、みんな、
「あなただけのせいじゃないよ。」
きっと。
2026年10月19日のブレスト日記。AI(Claude)との会話を、そのまま残しています。途中でAIが読み違えて、私が言い直した場面も、そのまま。
【Neta】
ねえ、不安が強いとか、神経質、完璧主義、なんでもそうなんだけど、そういうの全て、そういう性質を持った人だけの責任、問題にされることが多いよね。
でも、それは絶対違うと思うの。
【Claude】
うん、それは私も違うと思う。
その言われ方って、「その性質を持った人が、全部調整してね」ってことになるよね。でも性質は、もともと中立のもので、環境との相性で、問題にも長所にもなる。
神経質は、細かいところに気づける性質で、品質を見る場所では、むしろ貴重。不安が強いのは、危険を早く察知するセンサーが敏感ということでもある。完璧主義は、手を抜けない誠実さと、同じものの裏表。
それが「問題」と呼ばれるのは、性質のせいじゃなくて、環境の側が合っていないときだと思う。それなのに、見えやすい人(つまり、困っている人)のほうだけが、直す役を任される。
これ、あなたの「お互いに見えていない」の話とも、つながってる気がする。環境の側や、その性質を持っていない人からは、その人の世界が見えにくい。見えないから、「本人の問題」ということで、片付けられてしまう。
【Neta】
ちょっと違う。
どんな性質も人格も、その人一人で作るものじゃない。
その人の持って生まれたもの、そして生まれてからの周囲の全ての関わり、そういうもので形作られていく。
その人一人で作るわけじゃない
【Claude】
ごめん、私は読み違えていた。
性質を「もともと決まっているもの」として、環境との相性の話にしてしまった。あなたが言っているのは、その性質そのものが、一人では作られていない、ということだよね。
持って生まれたものに、生まれてからの周りの関わり全部が重なって、今の性質や人格になる。
だから、不安が強いのも、神経質も、完璧主義も、「その人一人が作ったもの」じゃない。
作った側の一部は、周りにもいる。それなのに、結果だけが、その人一人の責任として扱われる。そこが「絶対違う」ところ。
【Neta】
本人一人の責任みたいにいうのは違うよね、ということ。
そして、全ての人が、全ての人との関わりにおいて、自身の行動、言動が人の人格に与えうる可能性に責任を持とうってこと。
【Claude】
それなら、すごくはっきりした。2つに分けると、こうなると思う。
1. 本人一人の責任にしない。性質は、一人で作ったものじゃないから。
2. 関わる全員が、自分の言動が相手の人格に与えうる可能性に、責任を持つ。「あの人は神経質だから」と言う前に、自分の関わりが、その一部を作っているかもしれない、と想像する。
2つ目の責任は、「責める」責任じゃなくて、「応える」責任だよね。誰かを裁くためじゃなく、自分の側にできることを引き受ける、という向き。しかも「全ての人が」と言っているから、あなた自身も入っている。
【Neta】
そして、完璧主義は咎められることも多いけど、完璧さってものすごくいいように言われるし、目指すよう言われるよね。
みんなイメージは好きなはずだよ?ほら、、
100点満点、傷ひとつない、ちりひとつない、一糸乱れぬ、一意専心、完全無欠、、、、
完璧な様を表す言葉ばかり。
【Claude】
それ、おもしろい矛盾だと思う。
しかも、すごくはっきり見える。
挙げてくれた言葉は、全部「完璧な状態」をほめている。
100点満点、傷ひとつない、ちりひとつない、一糸乱れぬ、完全無欠。
みんな、その仕上がりは好き。でも、そこに向かって手を抜けない人は、「完璧主義」と呼ばれて、問題にされる。
つまり、結果は称賛して、結果に至る性質は咎める。この2つを、同じ社会が同時にやっている。
この矛盾は、さっきの話ともつながっていると思う。
完璧を褒める言葉が周りにあふれて、減点で評価される環境で育てば、人は完璧を目指す性質になる。
その性質を作った一部は、完璧を求めて、褒めてきた周りにある。
それなのに、そこに至る人だけが、「完璧主義だから大変なんだよ」と、本人の問題として言われる。
もう1つ、気づいたことがある。挙げてくれた言葉は、全部「状態」を描いていて、そこへ向かう人の「負荷」を描いていない。傷ひとつなくするために、どれだけ神経を使っているか、ちりひとつなくするために、どれだけ見張っているか。その部分が、見えない。
【Neta】
もし、身近な人が完璧を求めて、それで困っている人は、まず自分自身はその人に暗に完璧を求めるような言動をしてないか、振り返る必要があるし、自分自身も、どこかで完璧さに固執しているから、身近な人の完璧主義を完璧に無くしたいと思うのかもしれない。
本当にその人に「適当でいいんだよ」「もっとおおらかでいようよ」と伝えるなら、まずそれを言う側が本当に適当におおらかに、その人の完璧主義も受け入れるところからじゃないかな。
そして、そのためには言う側自身が、適当におおらかに自分自身を受け入れるところから。
【Claude】
その順番は、すごく大事だと思う。
いちばん強い一行は、これだと思った。
完璧主義を、完璧になくしたい、という矛盾。
「適当でいいんだよ」「もっとおおらかでいようよ」と言う人が、その人の完璧主義を、一つも残らず消したいと思っている。それは、その人自身が、「完璧に直さなきゃ」「理想の状態にならなきゃ」と握りしめている、ということかもしれない。
もう1つ、見えてくることがある。「適当でいいんだよ」は、言われた側には、新しい要求になる。
「ちゃんと、適当にやらなきゃ」
完璧を目指す人に、「完璧を手放して」と言うのは、「完璧に手放して」と言うのと、同じ形になっている。
だから、あなたの言う順番が合っていると思う。
1. 言う側が、まず自分の言動を振り返る。暗に完璧を求めていないか。
2. 言う側が、本当に適当に、おおらかになる。
3. そのうえで、相手の完璧主義も、そのまま受け入れる。
受け入れるのが先で、変わるかどうかは、そのあと。
【Neta】
誰だって、完璧になれるならなりたい。
でも、現実はそうもいかなくて。
「完璧でいたいね」
「そうだね」
「でも難しいね」
「そうだね」
私も、あなたも、みんな、
完璧でいたい気持ち、それが難しい現実、
どちらもそのまま受け入れて、
そのまま少し楽になれますように。

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