なんのために完璧でありたいのか

発信するセルフケア

完璧でいたい、という気持ちは、たぶんそんなに変なものじゃない。
むしろかなり真っ当で、「ちゃんとやりたい」「安心したい」という、わりと健全な願いから始まっている感じがある。

なのに気づくと、それがじわじわ形を変えて、しんどさを生む装置みたいになっていることがある。

完璧はもともと「安心装置」だったはず

完璧を目指す動機って、よく見るとけっこう素直。

・失敗したくない
・うまくやりたい
・人に迷惑をかけたくない

あと、「ちゃんとやれば大丈夫」と思える状態にいたい、という願いもある気がする。

つまり完璧って、「未来の不安を消すための装置」みたいなものなんだよね。
ちゃんとやっていれば安心できる、という設計。

この時点では、かなり便利な装置に見える。

「正しい努力」が裏切り始める瞬間

ところが、この装置はちょっと扱いが難しい。

基準を上げれば上げるほど、達成できなかったときの落差もきれいに拡大する。
グラフみたいに素直に伸びる。

そもそも、完璧であることの実現はかなりハードルが高いので、
高確率で達成できない。

達成できたとしても、どこかで大きな犠牲を払っていることもしばしば。

本来プラスのはずだった努力が、いつの間にか
「できていない自分」を証明する材料に変わる。
「自分を傷めつける装置」に変わる。


頑張れば頑張るほど、自分を責める燃料が増えていく。

努力が敵に寝返る瞬間って、だいたいここ。

失敗が「存在してはいけないもの」になる

さらに面白いのは、失敗の扱いが変わるところ。

本来、ミスとかズレって「当たり前に存在するもの」のはずなのに、
完璧の基準が高くなると、それが「起きてはいけないもの」に格上げされる。

するとどうなるか。

現実とのギャップ=そのまま自己否定

という、わりと直球な変換が起きる。

誤差だったはずのものが、人格の問題に昇格する感じ。
雑な変換ロジック。

自分のための完璧が、周りを巻き込む

しかもこの完璧、だいたい自分の中だけで完結しない。

高い基準って、言葉にしなくても空気として漏れる。
そして周りはなんとなく察する。

「ちゃんとできてるか」が漂う空間、ちょっとした緊張感がある。
悪気ゼロなのに、静かにプレッシャーが発生してるやつ。

自分を守るための基準が、いつの間にか環境の難易度を上げている。
この副作用に本人だけが気づいていなかったりする。

幸せを目指していたのに、逆走している感じ

ここまで来ると、最初の目的と現在地のズレが見えてくる。

安心したかったはずなのに、不安が増えている。
満足したかったはずなのに、足りなさばかり見える。
余裕がほしかったのに、余白が消えていく。

完璧であろうとするほど、楽になるどころか、
むしろ逃げ場が減っていく感じ。

良い方向に進もうと努力していたはずなのに、
自分も周りもどんどん追い込まれていく。

たぶん分かれ目はここにある

結局のところ、問題は「完璧を目指すこと」そのものじゃなさそうで、

努力が
安心のための手段 → 自己否定の材料
に変わる瞬間

ここが境目っぽい。

同じ行動でも、意味が反転するだけで、体感がまるで別物になる。
このスイッチ、静かに入るから気づきにくい。


完璧でいたい、という願い自体はかなりまとも。
むしろ、その真っ当さがあるからこそ、この構造は成立してる。

「安心したい」が、「安心できなくなる仕組み」を育てていく感じ。

それが余計にもどかしかったりする。


ここまで書いてきた内容で、

なんのために完璧でありたいのか

という音楽をつくりました。
完璧でいようとする感じとか、そのズレとか、うまくいかなさも含めて。

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カミサマごっこ
なんのために完璧を求めるの?

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